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2012-12-10

津波警報に心配する

12月4日、「南三陸町共食会(仮設エリアから発信“からだ・心・くらし・地域や環境にぴったり合った食事づくり)」の手伝いのために南三陸町に行ってきました。
仙台発朝8時の高速バスに乗り、2時間弱で南三陸町到着。
バス停まで迎えに来てくださった町の栄養士さんの車で、今日の共食会実施場所に向かいます。
途中、道路の両側にまたがって塀に囲まれたがれきの山が見えました。
「ここ、がれきの処理施設ができたの。中には託児所も設けられているんです。
地元の雇用が高まったというか、仮設からも結構働きに来ていると聞いています」
と栄養士さんが説明下さいました。

実施する仮設住宅では、共食会の時間が迫っても参加予定者がめずらしく揃わなかったので、声をかけに仮設住宅内を訪問しました。
小雨が降り薄暗い日にもかかわらず、電気がついた家は一軒も見当たらず、人の気配がまったくしません。
「どなたもいないみたいですね?」
と町の栄養士さんに尋ねると、
「皆さん、働きにでている」とのこと。
朝見た、がれき処理施設が思い出されました。
一時に比べ、昼間、仮設にいる人がかなり少なくなったそうです。
私たちのお目当ての参加予定者たちは、空き室に開設した「SKC(志津川かあちゃんクラブ?)」なる部屋で、内職の編み物に没頭されていました。
60代前後の主婦4名のグループで、製品はメンバーの息子さんが売っているとのことでした。
今はクリスマスに向けて忙しいそうで、「あっ、もう時間になったね」と、編み物の手を止めて共食会に飛んで来てくれました。

南三陸町の皆さんは働き者です。
「先日行った高齢者対象の学習会は、開始を30分遅れとしました。
近場に大きい農業ハウスができて、そこの畑仕事をして、そのあと出てくるというので開始時間をそれにあわせたのです。
「70代のおばあちゃんたちが朝から畑仕事ですよ。みんなよく働くでしょう? 元気でしょう? 」
町の栄養士さんが誇らしげに語ってくださいました。
もともと元気な方が多い南三陸町の皆さんですが、今回も参加者の方の話から、仮設で暮らすことで変化した生活の様子をいくつか耳にしました。
「洗濯物干すったって、以前は家の端っこから家の中歩いて、庭に出て干していたのに、今はひょいっと窓から手出すだけで干せちゃうもの。買い物も家の前まで来てくれる。便利と言うか、何と言うか…。家の中歩いているだけで運動してたんだね」
「仮設には押入れが1つしかない。入らない物はみんな出しっぱなしだよ。だから、お茶っこもできなくなったね。家の中に上がれなくなったもの」
「そう、今は家の中に人を呼べないよ。お互い様だから皆わかっている。私も入れないし、はいっていかない」
「だからここ(共食会の実施場所である談話室)が大事なんだよね。こうしてみんな集まって話をするのが何より楽しい」

変わらざるを得ない生活環境の中で、臨機応変に明るくたくましく生きる人たちがいる一方、町の景観の変化はいたってゆっくりです。
町立病院等の公共施設は取り壊され更地になっているものの、民間施設や壊れた堤防等はそのまま不気味な姿をさらしていました。
建物の土台撤去が始まるそうですが、地盤沈下により地面のいたるところに水たまりができたままです。
来週末は国政選挙です。
複雑な気持ちで投票に向かうことになりそうです。

高橋千恵子(フォーラム理事)