toggle
2013-05-13

あれ・・、それ・・の世界から、宮沢賢治の“風の又三郎”の世界まで

最近、「あれ・・、それ・・」の世界を感じる。そんな自分に興味を持っている。
今年から大学での担当科目は、「老年看護学」となった。
まるで、私自身を手本に学生の皆さんにわかりやすく享受するために頃合いよく与えられた役割であると気をよくしている。

 「他人の名前をうっかり忘れる」「出かけるときに、あれ鍵はどこ・・」「ところで、昼に何を食べた?」・・・あれ、それ・・・の世界に入る私の年。
そこで、使っていない筋肉が衰えていくように使わない脳の弱りを感じる事実を学生に伝えることからの出発となる。
そして、人の名前どころか、その人と自分との続柄・関係までをも忘れ、昼食を食べたことすら忘れる「認知症」との区別を教授する。

 さて私自身は、忘れることを自覚して、メモを書くことを習慣化する。
それは、日常生活に支障をきたさないこと、他者に迷惑をかけないことへの努力の一つである。
さらに、脳へ新鮮な刺激を送ることによる前頭葉の老化防止と考える。
そして、出来事記憶として記録する脳の訓練を始める。

本日の記録:秋田発最終の東京行き“新幹線 こまち”での出来事
盛岡駅で“こまち”を降りて階段を下り始めた中年の男性が笑みを浮かべながら(照れ笑いのように見えた?)足早に列車に戻り乗車した。
忘れ物か?
なら、また降りるはずなのに、大丈夫か、間に合うかとやきもきしてホームを見ていたが一向にその気配がない。
そのうち、列車は動き始めた。
あの男性は、その後どうしたのであろうか?
戻るはずと思っていたその場所、私の視線の先には、車掌が帽子に手をかけ、敬礼姿勢で“こまち”を送っている空間だけがそこにあった。
あの男性は、うっかり降りてしまったのだろうか?
不思議な気持ちになった。
20時50分窓の外は暗闇、吹き付ける雨粒が滝のようである。

ふっと、小学校4年生の時に見た映画“風の又三郎”の情景が鮮明に浮かんできた。
   どっどど どどうど どどうど どどう
   青いくるみも吹きとばせ
   すっぱいかりんも吹きとばせ
   どっどど どどうど どどうど どどう
   どっどど どどうど どどうど どどう
 宮沢賢治の世界である。

思えば、私が秋田への就任を選択したのは、東北の宮沢賢治の世界への憧れからであった。
こんなこだわりが盛岡駅の出来事を“風の又三郎”の世界へと誘ってくれたのかもしれない。
さて、“風の又三郎”の全文を今一度読むことにしよう。

今日の出来事を記録しながら、自身の存在、老人を生きることを楽しむコツ、自身の脳との対話を通して少しでも老化を防ぎたいものと心に誓う。

尾岸恵三子(フォーラム理事・秋田赤十字看護大学)