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2021-12-20

のっぺい汁の芋を洗い、こそげる

私が参加する子ども食堂で、次月のメニューの検討中、農家さんから掘りたての土つき里芋(以下、芋)がたくさん提供され、副菜を兼ねたのっぺい汁を献立に加えた。私は、当日の芋の下ごしらえを想像して(土を洗って皮を剥く、むいた芋に土がつき、それを洗うためにぬるぬるになり、切るのに滑ってどうにもならない状況)、当日の皮むきに備えて芋を洗い乾かすために家に持ち帰った。実施数日前になり、当日の作業を考えて皮をむいて持っていきたいが……と思いながら、生家での正月三が日の雑煮の芋は、なぜその都度皮をむかないでよかったのか、子ども期の芋洗いを思い出した。

イラストは、その頃の暮・正月用の芋洗いの手伝いの様子である。兄が言いつけられた手伝いだが、兄一人ではできない、つまらないので、私と弟を動員する。竹やぶの地下深い壕に保管された芋、15kgは入っていたと思われるぼっち(寒さに弱い芋の保存のために稲藁製の米俵と同じ仕立ての蓋つきバケツ)を取り出すことからはじまる。外流しで土を洗い流してから、四斗樽で何回かに分けて洗う。作業は分担と協働。棗の木を背もたれにして樽のふちに乗って(棒の上部を持つ方がテコの原理で楽に動かせるため)棒で芋をゴロゴロと動かす役、水屋の井戸から壁を通した樋から水を汲む役、ゴロゴロして芋から外れた毛(外皮)をすくい取り、芋が白い肌になったら流水で洗い竹ざるに上げて水気を切る役である。縁側に畳表のゴザを敷いて芋を並べるまでが手伝い。その後は大人たちが、1、2日天日乾燥し、油紙に包んで保管し用いていた。芋を洗うことは、芋が白い肌になる“こそげる”(毛のついた外皮を剥く)ことでもあったことを理解した。余談だが、私の調理の出発は、このような多くの手伝いを、兄弟で協力し工夫・冒険を重ねながらなし遂げた楽しかった体験にあるようだ。

イラスト:針谷由子

早速、芋を買って試した。芋は少量であり道具もないので包丁でこそげたが、廃棄率は、こそげる:5%、剥く:20%、亀甲や鶴の子の物相に面を作って剥く:30~35%であった。むき方による廃棄率の違いに改めて驚いた{こそげる、剥くの値は『調理のためのベーシックデータ』第5版p121 女子栄養大学出版(2019)に同値。また、大量に扱う料理屋等では物相に剥いた端は芋餡等に利用し廃棄しないようだ}。芋は包丁でこそげたためか、表面は褐変し薄皮が感じられたが、煮崩れせず汁は透明でとろみもほどよいことを確認した。実施当日は包丁でこそげて芋を持参、この顛末をスタッフと共有し50食を作り提供した。

今、この子ども食堂では、大量調理の条件が十分とはいえないキッチンで50~100食を作っている。一方で、子ども食堂の活動が認知され、野菜等の生鮮品の提供もあり有効活用に努めている。この2つの条件が、私が子ども期に体験した行事食や冠婚葬祭食づくりに類似しており、ヒントが得られている。このような契機から、懐かしだけではなく、食育における子ども期の食事づくりへの参加の意義や体験の内容・方法を改めて考えさせられている。今、子どもを取り巻く食生活では、商品は洗い芋が目立ち家庭で使う量からは、「芋を洗う=多人数の雑踏する様(広辞苑第6版)」の例えには結びつかないと思うが、食事を作ることにまつわる歴史・文化を含めて、調理の合理性、食の循環への配慮等も視野に、作ることも大切にした「子ども食堂」での食育の取り組みを重ねていきたいと考えている。

 

針谷順子(フォーラム理事長)