私にとって特別な「食べ物」とは……
「中学生の時、母が腰の手術で2週間入院した。母が作り置きしてくれたおかずを温めて食べていたが、ある日、4つ違いの兄が、私のために冷蔵庫にある食材で料理を作ってくれた。ピーマンとニンジンの炒め物である。しょうゆと砂糖で味つけしただけのシンプルなものだが、ゴマ油の風味がきいておいしかった。何より、“私のために作ってくれた料理”がうれしくて、うれしくて。母がいない寂しい食事が、兄のおかげでとてもおいしく食べられたことを覚えている。私も、兄のように食べる人の気持ちをあたためることができるような作り手になりたいと、少しずつ調理を頑張っている」
「風邪をひき、何も食べられなかったときに、母がくたくたに煮込んだうどんを作ってくれた。柔らかくて、口当たりよく、食べるとからだの中からあたたまり、力が湧いてきた。将来、自分の子にも母と同じように作ってあげたい」
「落ち込んでいるときに、母が作ってくれた食べ物がうれしくて、それから大好きになった。試験の前など頑張らないといけないときや、頑張ったご褒美としても作ってほしいとお願いしている」
保育士になる学生が、子どもの「食」支援を行うときに「食べることが好き、楽しい、楽しみ」といった子に育つために、どんな食体験がつながっていくのか(どんな食支援が必要なのか)気づいてほしいと、自分の食体験を書き出してもらった。食べ物の中に、自分を大切に思う相手の気持ちが読み取れると、やはり特別な食べ物になっていく内容が多く提出された。目を通しながら、一人ひとりの学生が、家族に大切に育てられている様子も伝わり、うれしくなるとともに、その特別な食べ物が、なぜか、オムライス、ハンバーグ、唐揚げに集中することにちょっと驚いてしまった。でも、学生が考える「理想の幼児食」に、これらの料理が多く登場するのに納得である。
「料理番組を見ながら、自分一人でハンバーグを作った。タマネギのみじん切りで涙が出て、すごく時間がかかった。形を作るところまではできたが、焼くのが怖くて父に手伝ってもらった。家族が喜んで食べてくれたのがうれしかった。その後、みじん切りのときは水泳用のゴーグルをつけて乗り切ったり、自分で焼くことにも挑戦したり、祖母の家で作り祖母たちに食べてもらったりして、料理をする楽しさを知った。レパートリーは少ないが、調理が大好きになった。ハンバーグも大好き」
コロナ禍で、クッキング保育は難しい現状だと思うが、幅広い「食を作る行動」のどこかの場面を子どもと共有し、自分の気持ちを食べ物に込める思いも体験させてほしいと願っている。
「食」は身体面の健康につながるだけではない。20年くらい前になるが文系の大学の男子学生が書いた文を目にするたびに、「食」は今の私の心もからだも、全部を育ててくれていることに気づかされる。
「中学2、3年生の頃、とあるラーメン屋で食べた“バリ辛ラーメン”。これまで特別、辛い食べ物に興味はなかったが、姉が『ここの一番辛いラーメンを食べきったら、2000円あげる』と話してきたので、その挑戦を受けることにした。出てきたラーメンは、赤というより赤黒っぽい色で、変わった匂いがしていた。スープを飲んでみると味は全くわからず、舌が痛く、苦味を感じ、正直おいしいとは思えなかった。だけど、鼻水や汗をダラダラと出しながら必死に食べ完食した。姉から2000円を受け取ったものの、それから3日間、腹痛が収まらなかった。勉強もスポーツもできるわけでもなかった自分が、このラーメンを食べきったことで家族に感心されうれしくなった。友人や先輩など周囲の人は、私が平気で辛い物を食べる姿を見て驚いてくれる。私にとって辛い食べ物を食べることは、自尊心を保つ一つだと感じている。これからも食べ続けていきたい」
高橋千恵子(フォーラム理事)