春
3月、秋田の角館のおく?の方に住む、父方の祖母が亡くなった。
89歳での旅立ちであったが、県内に住む伯父や叔母の献身的な介護のもと、眠るように旅立っていったそうだ。
親戚一同が久しぶりに集まった。
ひ孫(全員男の子)も集まり、我が家の長男(年少)、次男(一歳)も加わり、和やかに、明るく、旅立ちを見送った。
食事を出して下さったのは、集落の女性の方たちだった。台所でみなさんで手際よく作ってくださった。
埼玉での葬祭では、仕出しの食事が一般で、このような光景をみるのは、35年生きてきて初めてだった。
学生時代、国際栄養学で、女性の生活のなかでの食物と情報の交換について学んだ、と記憶するが、日本でもこのような形で
まさに、冠婚葬祭等でのこのような女性の集まりが、食の情報交換の場であったのだ、ということが確認することができた。
従姉の話によれば、やはりここであの婦人がつくると美味しいなどという評価も入るので、皆さん上手になるとのことであった。
一方、新幹線に乗るのも初めて、北国の冬を体験するのも初めての息子たち。
すぐ裏にあるお墓への納骨では、従兄等が参列者が深い雪に足を取られないようにと、前日に雪を踏み固めてくれていたが、
雪をみるのが嬉しい長男は、踏み固まった雪よりもふわふわの雪がよく、案の定、足を雪にとられてしまっていた。
眠い次男を抱きながら、旦那とキャーキャーと雪で遊ぶ長男を傍らに、春の日差しと雪の景色が、悲しいはずの空気を和ませてくれた。
マタギの里まで続く単線に、数時間に一本の割合の一両電車が、カタンカタンと走って行った。
祖母の旅立ちには立ち会えなかった父であるが、この頃年をとったせいか、お酒の席では涙もろくなることも。
2月に、紙風船をあげるイベントに行く名目で、実家に帰った後の旦那との酒のせきでは、祖父(父)が早く亡くなり、
祖母(母)だけで4人の子どもを育て、3人の兄弟姉妹は進学をあきらめ、自分だけが仙台に出させてもらい進学させてもらった。
祖母(母)のためにも、兄弟姉妹のためにも、社会に役立つことがしたいと思ってここまできた、と、自分の人生を振り返りながら涙を流していた。
祖母のお骨が収められたあと、父の生まれるちょうど一年と一日前に、父のすぐ上の兄が一歳で亡くなったという記載がされた墓誌を父が教えてくれた。
改めて、父の育った環境、歴史を感じることができた日であった。
4月、3月生まれの母方祖母、従姉の子どもの入学祝、我が息子たちの進級祝を、親戚そろっておこなった。
こちらも全員ひ孫が男の子で、騒がしい会であったが、こうやってみんなで祝える、ということがなんだか嬉しく感じた。
長男は、人が多いのが嬉しいようで興奮して落ち着かなかったが、いろんな家族形態があるなかで、
節目節目で家族が集まることができ、互いを確認しあえることは、長男でなくてもなんだか嬉しいことだと感じる今日この頃である。
田村 みどり(フォーラム運営委員)