昭和63年9月15日木曜日 天気晴
今日は敬老の日で、全国民で年寄りを大切に安心できるように、国で敬うようにすべき日であり、若者達は今日までの社会の伝統を引き継いで、感謝の念等について今後とも忘れぬように、来る年も来る年も行うことに決めて有ります。
勤め人も学童も休み、一日自由に、思い思いに老人を中心に過ごす、楽しい一日であります。
……朝食後、七時頃に東京の恵三子のところから、敬老のお祝いの電話があった。付け加えて、大学の助教授になったと連絡があった。この上もない事と慶び、この上もなく早速言葉だけで御目出度と祝福した。
本人の身上如何ばかりと言葉に出せない程だった。
春先、進路を変えたいと言ったので、反対したが苦労がいが有って良かった。
……夕食に皆で祝った。今日は吉日の日で目出度いことで有った。
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突然の迷文で恐縮ですが、以前に故郷の弟が、亡父の日記をコピーして送ってくれたものです。
この日は2ページに亘って、家族の状況や姪の祝い事等について書かれておりました。
私は、敬老の日が近づくと、決まってこのページを読み返しております。
父は自身の気持ちを余り語る人ではありませんでしたので、この日記に私に対する思いが書かれているのを見たときには、見守られていた心地よさと、感謝の念が同時にわいてきました。
昨今、高齢者の所在が解らないニュースを聴く度に、敬老の日の意味、家族の絆の意味、これらについて再考する必要があるように感じています。
そして、一日、朝と夕の2食は家族と一緒に食卓を囲むことの多かった昭和の食卓の意味も、再考したいと考えるようになりました。
私の母の工夫は、朝食は、家族全員のエンジン始動を確かめて、味噌汁の具の内容と量を調節する。
夕食は、元気加減により、元気がない家族がいる時は、鍋物にして笑いを分けあう、でありました。
母親は、家族全員の健康の舵取りのようです。
20年以上も前の父の日記から、現代の高齢社会の有り様と家族の絆、母親の役割に思いを馳せ、それを培うであろう一人ひとりが、大事にされる食卓の意味を再考する必要性を感じています。
尾岸 恵三子(フォーラム理事、日赤秋田看護大学)