「ひとよ会」
昨年10月、伊香保温泉へ7人の仲間との小旅行にでかけました。
温泉につかり、富岡の製紙工場を見学したり、乗換駅をおしゃべりに夢中になり降り損なったりの珍道中でした。
この集まりの名前は「ひとよ会」14人の会という意味です。
名前の由来は昭和46年(1971年)の4月に、板橋区の教育委員会に栄養士として採用された14名からとったものです。
当時東京都では様々な意味で全国に先駆けた政策が実施され、学校給食に関わる栄養士もこの年3校に1人から2校に1人に増員されて、東京23区には後にも先にもない多くの栄養士が採用されたのです。
私を含め新規卒業の人が多かったものの、14人の中には調理員から猛勉強で栄養士の資格を取って採用された人、一般企業や他の給食施設で働いていた人など年齢も様々なメンバーでした。
ほとんどが20歳そこそこの生意気?な新米栄養士の一団が学校給食の現場に手探りで踏み出して行きましたが、学校では多くの教員、当時は手強い給食の調理士さんに囲まれて、栄養士として1人で孤軍奮闘する中、区教委で実施された新規採用の研修では先輩栄養士に手取り足取り教えられ、仲間と顔を合わせられるのを楽しみにしていました。
昭和47年以降少しずつ学校栄養士も増え、昭和50年には「公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律」で義務教育に必要な職員として位置づけられました。
区の職員から都の職員に所属も代わりこれで給食指導も栄養指導も少しでも前進できるとの希望が高まっていた頃、都の体制が変わり栄養士の数も国の基準まで下がってしまい、当時1、5校に1人いた栄養士は2校に1人になるまで退職者が出ても補充されず、昭和56年以降10年近く新規採用の門が閉ざされてしまいました。
栄養教諭制度が新設されても東京都は全国でもっとも取り組みが遅れ、制度としての食指導がなかなか進まないのが現状です。
(東京都はかなり早期から献立内容、食指導に関して個々の栄養士が取り組んで成果を上げた実績があり、これが逆に栄養教諭でなくてもできるという事になってしまった感もあります)
「ひとよ会」の14人はその後、2人は早期に退職し12人になったものの、一緒に遊んだり食事をしたりする中でお互いの信頼を深め、栄養士として働く上でもいざというときは互いに力になり合い、学校内で、区内で、東京都で、一歩踏み出す時の心強い仲間になって行きました。
その後退職した人、他区に移動した人も含めて、何年かに一度集まりを持ち、仕事の事、プライベートな事など集まれば話が途切れることはありません。
気がつけば新規採用から43年、全員が定年退職の年を過ぎ、再任用で栄養士の仕事を続けている2人をのぞき多くが仕事をリタイアしています。
仕事を続けている人も退職した人も1人1人がそれぞれの生活に前向きに取り組む仲間を見ると、自分もがんばる力がわいてきます。
私は、昨年3月で退職し、仕事最優先で「明日の・来月の給食」の事で頭の中はいつもいっぱいだった生活が終わり少し時間と心の余裕ができました。
しかし、仕事をしている時から続く「我が家の共食会?(週中と週末なぜか近くに住む娘やその家族が夕食を食べに来る)」に加え時間ができてからは小さな子どもの体調不良時の対応やなぜか甥からも子どもの緊急対応の依頼があり何かと忙しい毎日です。
これからはいろいろなサポート依頼に対応できるよう自分自身の体力向上が必要と、トレーニングジムに通っています。
(これは先日の大雪での雪かきにおおいに役立ちました。)
「ひとよ会」は、最近はお互い時間の余裕ができてきたので1年に1回を目標に計画を立てています。
必ずしもスムーズに理想の学校給食や食指導の実現ができたとはいえない学校栄養士としての42年間でしたが、Bestは無理でもせめていつもBetterな選択をと走り続けてきました。
その中でたくさんの貴重な仲間を得ることができ、振り返れば幸せな42年間だったと思います。
さあ次の「ひとよ会」はどんな集まりになるのでしょうか?出席できるのは誰?
今から楽しみです。
原田のり子(フォーラム運営委員)