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2014-07-22

芥川龍之介の“蜘蛛の糸”、宮沢賢治の“雨ニモマケズ”に支えられる日々


今年は、私にとって六度目の干支の年である。姉にそのことを伝えると今頃何を言っているのかと笑われた。大学の教員として若者と共にある私は、年齢の自覚が失せていた気がする。若者との関わりからは、多くの学びを頂き、豊かな日々を過ごしている。
 
しかし、暢気な私でも日常の中で悩まない日はない。学生の相談事を共に悩むとき、自身の生き方を振り返るとき、何か決断を迫られるときなど、様々な場面がある。

その折々に私を支え、道を示してくれるのが、芥川龍之介の“蜘蛛の糸”、 宮沢賢治の“雨ニモマケズ”である。これらの作品との出会いは、小学四年生の今頃であった。

“蜘蛛の糸” は、先生が朗読をして下さり、「さて、皆さんがカンダタだったらどうしますか」の質問に「ゆっくり一人ずつ上がれって、いえばいいじゃん」、「カンダタのように早く降りれって言っちゃうよ」「お釈迦様は、なんで太い糸にしなかったの」等々、様々の意見が飛び交ったことを記憶している。今の私は、前者のように言えるだろうか。咄嗟にみんな早く降りてと叫ぶに違いない。どう判断し、どのような行動をとるか。その時の私の心の有り様が問われ、何かを決断するときには、今でもふっと“蜘蛛の糸”が脳裡に浮かんでくる。

“雨ニモマケズ”は、私が夏休みの宿題そのものを学校に忘れて、自分流の宿題として父の書棚から見つけた本から書き写し、“宿題”と言って勝手に提出したものである。先生は、「ホー、オギシの宿題はこれか。先生の宿題と違うが、まあ頑張った賞か」と言って受け取って下さった。そして、“雨ニモマケズ”は、次の授業の題材になったと記憶している。

“雨ニモマケズ”は、人生どうありたいかと自身に問うとき、また、今どう生きているかを振り返る時に鏡として、折に触れ浮かぶ詩である。

「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イツモシヅカニワラツテヰル/一日ニ玄米四合ト/味噌ト少シノ野菜ヲタベ/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジヨウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ/野原ノ松ノ林ノ陰ノ/小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ/東ニ病気ノコドモアレバ/行ツテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ/北ニケンクワヤソシヨウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボウトヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハ/ナリタイ

今、秋田の千秋公園大手門堀の「大賀ハス」が大輪の花を咲かせています。お釈迦様の「蜘蛛の糸」を想い、また、夏休み間近の宿題「雨ニモマケズ」を思いだし、日々を顧みて明日を豊にと想うこの頃です。皆さん、「大賀ハス」を見にお越し下さい。

尾岸 恵三子(フォーラム理事・日本赤十字秋田看護大学・長野県出身)

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