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2024-11-13

母を看取って

去る11月5日、ちょうど日付が変わった頃、母が息を引き取りました。昭和7年生まれの92歳でした。60歳の健康診断で「原発性胆管性肝炎」と診断されていましたが、特に問題もなく元気に過ごしていました。自分のことしか頭にない私は、20年前に同居するまでそのことを全く知らずにいたほどです。

同居してからの母は父の他界後、肝炎から肝硬変への移行、圧迫骨折、肝性脳症などを起こし、いくつかの病院にお世話になりながら、最終的には自宅近くの特別養護老人ホームに入居いたしました。令和1年8月のことでした。

圧迫骨折の影響で車イスの生活となりましたが、明るい職員さんのおかげで、こんなに社交的だったかしらと思うほど適応して生活していました。ただ入所にあたって受けた健康診断で、担当医から「白血球が少ない。普通は白血病と診断して、余命あと半年と伝える数値」と言われました。3度目の圧迫骨折後に再び車イスに座れた時には、施設の看護師さんから「これは奇跡だよ」と言われるなど、何度も不死鳥のようによみがえっていました。

しかし、今年の10月頃から食欲がない、咳、喘鳴(ぜんめい)の頻度が増し、横になっていることが増え、浮腫みも足やおなか周りだけでなく、背中や顔にまで及ぶようになってきました。10月10日に病院に救急搬送され、ここで看取られるのだと覚悟したところ、「中央静脈栄養をしない人(つまり延命しない人)の看取りはできない」と告げられ、途方に暮れつつもまた施設に戻ってきました。

施設では、結局、最後の2週間をお世話になりましたが、その間に、お風呂に入れていただいたり、臨機応変にトロミ食を食べさせてもらったりと、とても手厚く支援していただきました。亡くなる4日前の焼き芋パーティでは、ちょうどタイミングよく目を覚ました母をリクライニングの車イスに乗せ外に連れ出してくださり、母は、顔なじみのスタッフさんとハイタッチをし、「その芋が食べたい!」と指さした焼き芋にかじりついたそうです。この焼き芋が、母の最後のごちそうになりました。

最後は母の耳元で「落ち着いてゆっくり息を吸ってはいて…」と繰り返しながら付き添いましたが、やっと息するその姿を見ていると、この選択でよかったのかと思い、でも、母と私たち家族が話し合って選択したことと、何度も何度も自分に言い聞かせた数時間でした。

ここひと月ばかり、施設や病院からの電話やメールを気にしてばかりいて、落ち着いて仕事をしておりませんでした。そんな私を許し、そしてサポートくださった皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

 

高橋千恵子(フォーラム理事)

 

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