誰をイメージして作ったの?
学生時代、卒論ゼミの一環で、食育セミナーの学生スタッフとして参加することになりました。子どもたちの前で、卵料理を作ることになったのですが、まずは学生スタッフの調理レベルを確認をしようと、恩師から「卵料理と副菜一品を作る」という課題が出されました。私は目玉焼き担当。副菜にはレタスサラダを作りました。
いざ、試食。先生の第一声は「誰をイメージして作ったの?」でした。
目玉焼きと一緒に食べるのは「サラダ」という当時の私の固定概念から「サラダ」を作った私は「食べる人」をイメージしていなかったのです。大切なことを考えていなかったと、とても恥ずかしく、しかし大切なことを学ぶこができた言葉でした。
卒業後、病院・高齢者施設で管理栄養士として勤務し患者や入所者への献立作成をしてきましたが、いつも「誰をイメージして作ったの?」という言葉が頭にありました。限られた食材費で、おいしく安全であることはもちろんのこと、食べる人を忘れないことを心掛けてきました。
献立作成に煮詰まると、入所者の部屋に訪室し、その人の好きな料理や食事の思い出話を聞くと、不思議と献立作成がサクサクとできることも多くありました。その気持ちを共有し、調理してくれるスタッフ、食事介助をしてくれる介護・看護スタッフと食事環境を整えてることは、食べる人にとっても作る人にとってもよいコミュニケーションの場になったと思います。
家庭でも、高齢になった親の身体状況に合わせて、料理を作るようにしていました。料理下手な私ですが、同じ料理でも、義歯調整中は小さく切る・やわらかく加熱するだけで食べられる量は変わることを実感していました。
転職し、一人暮らしをはじめてから、「誰かをイメージして料理をつくる」ことが減り、ついつい手抜きも多くなっていました。
先日、体調を崩し、改めて食事の大切さと「誰のために作ったの?」というあの日の言葉を思い出しました。これからは一人暮らしでも「自分の状態をイメージ」して食事を作ろうと反省し、昼食の弁当づくりを再開。出勤時は弁当を持参しています。主食・主菜・副菜を整えた弁当は満足感もあり間食も減ります。料理下手なので、このブログに写真を載せられるような弁当はまだまだ作れませんが、いつかこのブログに「一人暮らしでも楽しく実践できる弁当」の写真が載せられるとよいなと思っています。
小林雪子(フォーラム運営委員・事務局)
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